ソーシャル・エコロジー[social ecology]

 環境問題は人間の自然に対する支配の結果であり、その本質を人間社会に存在する支配の関係に由来すると考える社会思想。アナーキズム的エコロジストのM・ブクチン(Murray Bookchin)によって提唱された。ブクチンは、人間による人間の支配が存在する限り、人間が自然を支配するという企図も存在し続け、地球環境の破壊は不可避であると指摘し、社会・政治・経済的不平等や中央集権的な権力構造を環境問題の社会的原因であるとして批判した。

 ブクチンはソーシャル・エコロジーの考え方を次のように述べる。「自然支配という概念は、人間による人間の支配、ありていにいえば、ある経済階級による他の経済階級の支配や、植民地権力による植民地住民の支配だけでなく、男性による女性の支配、年長者による若年者の支配、ある民族による他の民族集団の支配、国家による社会の支配、官僚制による個人の支配から生まれてきた」(ブクチン[1999] 54-55)。それゆえにソーシャル・エコロジーは、支配やヒエラルキーのない社会の構築を目指し、地方分権化され自立した経済システムを持つ地域社会を建設することで自然と人間との共生が可能になると考える。

 こうしたブクチンの考え方によれば、人間が自然に従うべきだとする「ディープ・エコロジー(deep ecology)」は批判の対象である。自然との一体性を強調することは人間が自然に従うことを意味するのであり、自然と人間の支配と従属という主客の関係を逆転させただけにすぎない。ソーシャル・エコロジーは、人間と自然との関係を見つめなおすことで、自然を通して人間の行為そのものを改革することを要求する。また自然を「第一の自然」とし、これに対して人間社会を「第二の自然」と位置づける。生物の世界は相互扶助的に複雑な形態へと向かって共進化するのであり、人間もまたそのような進化の過程に含まれる。したがって「第二の自然」は「第一の自然」にみられる自然進化という概念を人間の領域へと拡張したものとして捉えられるべきである。しかしそれと同時に人間は自らの環境を選択し、変革することができ、道徳的な問題を提起することのできる生物であるという点で他の生命との差異を持つ。人間と自然とが連続性を持ちながら、人間は他の動物との差異を同時に併せ持つ。この両立によって自然と人間との二項対立的な構図は克服される。このようにもともと「第一の自然」にある多様性と共生の原理をもってブクチンはヒエラルキーを克服し、人間と自然との共生が可能なエコロジカルな社会変革を目指す。

 アナーキズムの伝統を引き継いだブクチンらのソーシャル・エコロジー(狭義)と、資本主義体制下で人間が自然に対する支配を進めてきたことを批判する立場である「ソーシャリスト・エコロジー(socialist ecology)」があるが(例:B・コモナー[Barry Commoner])、この二つを合わせてソーシャル・エコロジー(広義)とする立場もある。またマルクスの思想からエコロジー問題にアプローチするD・ペッパー(David Pepper)の「エコ・ソーシャリズム(eco-socialism)」はエコロジーと社会主義とを結合させた言葉である。

(庭野義英)

 

参考文献

・戸田清「社会派エコロジーの思想」小原秀雄監修『環境思想の系譜2 環境思想と社会』(東海大学出版会、1995)162-86.

・マレイ・ブクチン『エコロジーと社会』藤堂真理子、戸田清、萩原なつ子訳(白水社、1996)

・マレイ・ブクチン「ソーシャル・エコロジーとは何か」小原秀雄監修『環境思想の系譜2 環境思想と社会』(東海大学出版会、1995)194-217.[原著:1987]

・デイヴィッド・ペッパー『生態社会主義:エコロジーの社会』小倉武一訳(農山漁村文化協会、1996[原著:1993])

・キャロリン・マーチャント『ラディカルエコロジー―住みよい世界を求めて―』川本隆史、須藤自由児、水谷広訳(産業図書、1994)

・マレイ・ブクチン「エコロジー運動への公開質問状」A・ドブソン編著『原典で読み解く環境思想入門―グリーン・リーダー―』松尾眞、金克美、中尾ハジメ訳(ミネルヴァ書房、1999)54-59.[原著:1991]

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