クィア・エコロジー/クィア・エコフェミニズム[Queer Ecology / Queer Ecofeminism]

 「クィア」とは、ゲイ、レズビアン、性転換者、異性装者といった性的少数者を包括する用語である。その「クィア」を「エコロジー」の冠として付した「クィア・エコロジー」、この語源を辿ると、カナダのヨーク大学が発行する学術誌UnderCurrentsによる1994年の特集“queer nature”に遡る。その号に、レズビアンを公表している詩人C・ケリー(Caffyn Kelly)が“Queer/Nature (Be Like Water)”という小論文を寄稿している。ケリーは同論文でクィア・エコロジーについて次のように述べる。

[...]自然は私たちが思う以上にはるかにクィアなものであることに気がつきました。鳥たちは、鳥類図鑑にあるような雌雄の番いではやって来ません。鳥たちは一羽で、群れを成して、三羽で、七羽でやって来ます。雌同士、雄同士、そして雌雄同士で番いになるのです。フジツボは雌雄同体です。ナメクジは驚くべき柔軟性をもっており、雄に生まれ、他の雄たちと性行為をし、その後、雌に変態し、相手の雄の精液をもって子を宿します。
私は、自然の中心には異性愛という不可避の事実がある、と教える文化で育ちました。でもその事実は間違っていました。それは他の類似の神話以上の何ものでもなかったのです。(43)

 1990年代以降、レズビアン・ゲイスタディーズやクィア理論の展開と足並みをそろえるように、これまで中立的だとみなされてきた「エコロジー」という思想・学問・概念にもセクシュアリティの視点が導入された。その結果として誕生したのがクィア・エコロジーであった。
 その動きと並行して、エコロジーにジェンダーの視点を入れたエコフェミニズムの異性愛主義(heterosexism)・異性愛規範性(heteronormativity)も指摘されるようになり、エコフェミニズムにもセクシュアリティの視点が導入された結果、クィア・エコフェミニズムが誕生した。一言でまとめれば、クィア・エコフェミニズムは自然・女性・クィアという三者に声を与えて同時解放を目指す理論・運動である。クィア理論家のE・K・セジウィック(Eve Kosofsky Sedgwick)は、その著書『クローゼットの認識論―セクシュアリティの20世紀』(1990年)の中で、社会は「ホモソーシャリティ(男性社会)」「女性差別」「異性愛主義」の三位一体が土台となって構築されている、と喝破したが、これに基づけば、クィア・エコフェミニズムはそこに「自然の抑圧」を追加し、自然という変数を加えた、とも言える。
 クィア・エコフェミニズムに先鞭をつけた記念碑的論文が、1997年に発表されたクィア・エコフェミニストのG・ガード(Greta Gaard)による“Toward a Queer Ecofeminism”である。ガードは従来のエコフェミニズムにはセクシュアリティという視点が欠けていたと述べ、エコフェミニズムにクィアの視点を導入することで自然・女性・クィアの三者を結び付ける。そしてエコフェミニストのV・プラムウッド(Val Plumwood)が著したFeminism and the Mastery of Nature(1993年)の二項対立に係る議論を土台にしつつ、ガードは男/女、人間/自然、異性愛者/クィアといった二項対立の解体の必要性を説く(この点ではMorton[2010]も参照)。なぜなら、これらの二項対立があるがゆえに二項対立の右側の項は歴史的に抑圧されてきたからである。その後、ガード論文に刺激される形で、レズビアンの視点が欠けているという不可視性の観点からガードを批判したW・L・リーとL・M・ダウ(Wendy L. Lee and Laura M. Dow)など、クィア・エコフェミニズム理論をさらに展開させていくような論者が少なからず登場している。
 ガード論文が再録されている、環境正義とジェンダー・セクシュアリティの接点を主題化したR・スタイン(Rachel Stein)編纂のアンソロジーNew Perspectives on Environmental Justice: Gender, Sexuality, and Activism(2004年)はクィア・エコロジー、クィア・エコフェミニズムのひとつの到達点と言える。またより最近ではクィア・エコロジストでありクィア・エコフェミニストであるC・モーティマー=サンディランズとB・エリクソン(Catriona Mortimer-Sandilands and Bruce Erickson)が編纂したQueer Ecologies: Sex, Nature, Politics, Desire(2010年)が本分野の必読文献として挙げられる。環境研究とクィア研究の交差する領域に理論・政治・文化的に踏み込む書物である。特に編者の2人による“Introduction: A Genealogy of Queer Ecologies”は一読されたい。
 単著論文では、クィア・エコロジーについてはモーティマー・サンディランズによる“Unnatural Passions?: Notes toward a Queer Ecology”(2005年)が挙げられる。同論文は、人間は自然に対して抑圧的な関係性を構築するが、その抑圧的関係性は異性愛主義的であると指摘する。また地理学者のM・ガンディ(Matthew Gandy)は、北ロンドンにあるアブニー・パーク墓地を事例にクィア・エコロジーを論じる。ガンディは同墓地(≒自然)での同性愛行為は社会規範(≒異性愛規範)からの逃走手段である、と分析する。
 一方、自然とクィアの両方を扱った環境文学作品としては、既出のケリーによる詩“Space”と“Water”(共に2005年)が挙げられる。またクィア・エコロジー、クィア・エコフェミニズムの観点からエコクリティシズムを試みた論文としてはK・ホーガン(Katie Hogan)の“Detecting Toxic Environments: Gay Mystery as Environmental Justice”(2004年)がある。同論文はJ・ハンセン(Joseph Hansen)作『真夜中のトラッカー(Nightwork: A Dave Brandstetter Mystery)』(1984年、邦訳は1987年)を環境批評にかけ、主人公であるゲイの探偵が有害な廃棄のみならず、有害な異性愛を暴き出すという意味で環境正義理論にクィアな視点を持ち込んでいると看破する。また執筆者(森田)による“Queer Ecopoet?: An Analysis of ‘Chito [Tito]’ by Japanese Poet Hiromi Ito”(2010年)および“A Queer Ecofeminist Reading of ‘Matsuri [Festival]’ by Hiromi Ito”(2013年)も挙げられる。両論文ともにエコポエト(環境詩人)である伊藤比呂美の散文詩を自然・ジェンダー・セクシュアリティの観点から分析しており、後者については自然・女性・クィアが解放されるためには三者ともに解放される必要性があること、そして伊藤の詩は三者が解放された先の世界を描き出ししていることが論じられている。
 最後にクィア・エコロジーおよびクィア・エコフェミニズムの展望について。2010年、『水声通信』は同誌二度目となるエコクリティシズムの特集を組んだ。その中で、喜納育江は「進化するエコ/フェミニズムとクィアエコフェミニズムの可能性」と題する論文を寄稿している。この小論は日本語による数少ないクィア・エコフェミニズムの文献となっている(他には例えば森田[2009])。クィア・エコロジーおよびクィア・エコフェミニズムはともにエコロジーにおけるクィアな/の視点を強調しており、したがって両者は一蓮托生と言える。よって喜納によるクィア・エコフェミニズムの展望に関する以下の記述を再掲することで、クィア・エコロジーおよびクィア・エコフェミニズムに関する本項目を締めたい。

 クィアエコフェミニズムという思想は[...]人間という生物種の営みから派生する抑圧の構造によって危機にさらされた多くの生命を救済する思想となり得るのではないだろうか。暴力と争いに満ちた人間の歴史が人間の性による「自然な」成行きだったとするならば、同性愛の「不自然さ」の行く手にある未来のほうが、生命体にとってはまだ健全な姿をしている(152)

※執筆者は「クィア・エコロジー」「クィア・エコフェミニズム」という用語はまだ人口に膾炙していないと考える。ゆえに「クィア」と「エコロジー」、「クィア」と「エコフェミニズム」の間に「・」(中黒)を入れているが、「クィアエコロジー」「クィアエコフェミニズム」と一単語として扱う論者もいる。本項目もその事実を意識して執筆されている。

(森田系太郎)


参考文献


・喜納育江「進化するエコ/フェミニズムとクイアエコフェミニズムの可能性」『水声通信』第6号第1巻(水声社、2010)149-52.
・E・K・セジウィック『クローゼットの認識論―セクシュアリティの20世紀』外岡尚美訳(青土社、1994[原著:1990])
・森田系太郎「訳者解題」『論叢クィア』第2号(クィア学会、2009)138-40.

・Gaard, Greta. “Toward a Queer Ecofeminism.” Hypatia 12.1 (1997): 114-37.
・Gandy, Matthew. “Queer Ecology: Nature, Sexuality, and Heterotopic Alliances.” Environment and Planning D: Society and Space 30 (2012): 727-47.
・Hogan, Katie. “Detecting Toxic Environments: Gay Mystery as Environmental Justice” Stein. 249-61.
・Kelly, Caffyn. “Queer/Nature (Be Like Water).” UnderCurrents 6 (1994): 43-44.
・---. “Space.” 2005. QueerMap.com. 13 Jul. 2013 <http://www.queermap.com/orientation/Space-Intro.htm>(ケフィン・ケリー「空間」森田系太郎訳『論叢クィア』第2号[クィア学会、2009]137.)
・---. “Water.” 2005. QueerMap.com. 13 Jul. 2013 <http://www.queermap.com/orientation/Water-intro.htm>(ケフィン・ケリー「水」森田系太郎訳『論叢クィア』第2号[クィア学会、2009]136.)
・Lee, Wendy L., and Laura M. Dow. “Queering Ecological Feminism: Erotophobia, Commodification, Art, and Lesbian Identity.” Ethics & the Environment 6.2 (2001): 1-21.
・Morita, Keitaro. “A Queer Ecofeminist Reading of ‘Matsuri [Festival]’ by Hiromi Ito.” Eds. Simon Estok and Won-Chung Kim. East Asian Ecocriticisms: A Critical Reader. New York: Macmillan, 2013. 57-71 .
・---. “Queer Ecopoet?: An Analysis of ‘Chito [Tito]’ by Japanese poet Hiromi Ito.” The Paulinian Compass 1.4 (2010): 101-20.
・Mortimer-Sandilands, Catriona. “Unnatural Passions?: Notes toward a Queer Ecology.” Invisible Culture 9 (2005) 1 Aug. 2013 < http://www.rochester.edu/in_visible_culture/Issue_9/sandilands.html>
・Mortimer-Sandilands, Catriona, and Bruce Erickson, eds. Queer Ecologies: Sex, Nature, Politics, Desire. Bloomington: Indiana UP, 2010.
・Morton, Timothy. “Guest Column: Queer Ecology.” PMLA 125 (2010): 273-82.
・Plumwood, Val. Feminism and the Mastery of Nature. London: Routledge, 1993.
・Stein, Rachel, ed. New Perspectives on Environmental Justice: Gender, Sexuality, and Activism. New Brunswick: Rutgers UP, 2004.


(2015年1月21日公開)

What's New

2020年度ASLE-Japan/文学・環境学会 全国大会のご案内」を更新し、プログラムを掲載しました。

書籍ページを更新しました。