場所の感覚[sense of place / place-sense]

 場所の感覚とは、身体的、社会的、歴史的に構築された、人と場所との関係性を表す用語である。エコクリティシズムにおける「場所の感覚」の参照枠と考えられるものに、地理学者Y・トゥアン(Yi-fu Tuan)の場所論がある。トゥアンによれば、「空間」は「自由性」を意味し、そこに種々の経験が作用することで「安全性」を示す「場所」が生み出される(トゥアン 11)。言い換えれば、「最初はまだ不分明な空間は、われわれがそれをもっと知り、それに価値をあたえていくにつれて次第に場所になっていく」(トゥアン 17)。つまり単純化するなら、<空間+経験=場所>と定式化される。例えば、「幼い子供にとって、親はまず第一の『場所』」であり、そこで「適切な栄養と保護をあたえられて健康に生きていく」(トゥアン 241-43)。人間や動物は、成長するにつれて、視覚をはじめ、聴覚、嗅覚、触覚などの感覚や身体性、記憶、学習を通して、世界を分節化していく。そしてトゥアンは「文学がもつ一つの機能」として、「親密な経験に可視性をあたえること」を挙げ、「文学は、われわれが気づかずにすごしてしまうかもしれない経験の領域に注目する」と指摘している(トゥアン 290)。この点に「場所の感覚」という概念と文学との密接な関係性、さらには環境文学というジャンルのひとつの意義が見出される。

 移住と定住をめぐる議論も、場所論を彩ってきた。移動が支配的な文化であった19世紀のアメリカにおいて、H・D・ソロー(Henry David Thoreau)はウォールデン湖畔に2年間定住するという徹底した形でローカリズムを提示した。そのことが契機となり、特定の場所における長期間の経験が、その土地の環境をより深く理解するうえで重要な要素とされるようになる。山里勝己が指摘するように、その定住を志向する作家として、W・ステグナー(Wallace Stegner)やG・スナイダー(Gary Snyder)、W・ベリー(Wendell Berry)らの名が挙げられる。

他方、J・ダニエル(John Daniel)は定住から移住へと考えを改め、場所の感覚を重視することの弊害を説いた(ダニエル 99)。そして「根を持たず、場所すら持たずにいる」(ダニエル 105)ことを好むと考える作家の系譜として、ダニエルは、E・アビー(Edward Abbey)やJ・ミューア(John Muir)の名を挙げている。ソロー型の「場所」、すなわち生まれ故郷であり熟知した場所をあえて選ばす、過度の感情移入や自己投影を拒む砂漠という場所に自らを定位している。近年の動向としては、U・ハイザ(Ursula Heise)が、以上のような場所の感覚をめぐる振幅に対し、場所論の中心的な基軸であった「ローカリズム」の相対化を試みるため、「コスモポリタニズム(cosmopolitanism)」の視点を提唱している。

 以上のように、場所の感覚は、移動/定住、ローカル/グローバルのせめぎ合いのなかで、常にその定義が再検討されるべき用語であり、また、哲学や地理学における場所論や風景論とも密接な関係がある。さらには、場所をめぐる権力や政治性という問題域については、ポストコロニアリズムや生態地域主義とも連動する用語である。

(山本洋平)

 

参考文献

・ジョン・ダニエル「根を持たぬ生き方」『ユリイカ』第28巻4号(1996): 99-107.

・イーフー・トゥアン『空間の経験』山本浩訳(筑摩書房、1993[原著:1977])

・ビュエル・ローレンス『環境批評の未来―環境危機と文学的想像力』伊藤詔子他訳(音羽書房鶴見書店、2007[原著:2005])

・山里勝己「場所の感覚」文学環境学会編『たのしく読めるネイチャーライティング』(ミネルヴァ書房、2000)246.

・Abbey, Edward. Desert Solitaire: A Season in the Wilderness. New York: Simon & Schuster, 1970.(エドワード・アビー『砂の楽園』越智道雄訳[東京書籍、1993])

・Heise, Ursula K. Sense of Place and Sense of Planet: The Environmental Imagination of the Global. Oxford: Oxford UP, 2008.

What's New

2020年度ASLE-Japan/文学・環境学会 全国大会のご案内」を更新し、プログラムを掲載しました。

書籍ページを更新しました。