人間中心主義/神人同型(同性)論[anthropocentrism / anthropomorphism]

 「人間中心主義(anthropocentrism)」は、人間の権利は人間以外の生物の権利に優先されるという仮説・概念である。ただし、L・ビュエル(Lawrence Buell)によれば、その中には、人間の利害が何よりも尊重されるべきだという「強い人間中心主義」から、人間中心主義をなくすことは不可能である、あるいは、好ましくないと考える「弱い人間中心主義」まで含まれる。さまざまな態度があるものの、この考え方は、個々の種の権利よりも生態系の権利を重視する「環境中心主義(ecocentrism)」や、すべての動植物(もちろん人間も含まれる)は大きな生命ネットワークや生命共同体の一部であり、人間だけを特権的に扱うべきでないとする「生命中心主義(biocentrism)」の反意語として位置づけられている(177-86)。

 こうした人間中心主義の枠組みを伴うとされる概念が、「神人同型(同性)論(anthropomorphism)」である。本来は神学の用語であったこの言葉は、現在では、動物や植物といった人間以外の存在(いわゆる自然)に人間的な感覚や感情、意味などを読みとる思考を指す言葉として用いられることが多く、動植物を擬人化した表現や、自然を人間に見立てたメタファー(例:「怒れる海」「堂々たる山々」)など、人間の感情や思考の枠組みを当て嵌めることによって自然を理解しようとする言説は枚挙に暇がない(山里 230)。なおビュエルは、神人同型(同性)論は、人間中心主義の枠組みを伴うものの、両者に明らかな相互関連はないとする立場もあるとし、J・ラスキン(John Ruskin)による批評を挙げている(182)。

 人間という種の存在を特権化する人間中心主義の考え方は、アニミズム的な思考、すなわち、自然界の事物には霊魂や精霊が宿るとする思考や、人間を超える存在として自然を捉える考え方と対立する概念としても論じられる。たとえばC・マニス(Christopher Manes)は、アニミスティックな自然との関わり合いが失われた結果、人間中心主義的な自然観が支配的になったと論じている(マニス 42)。マニスが、西欧文化における自然との体系的なアニミスティックな関係が失われた契機として考えているのは、読み書き能力とキリスト教釈義の導入である。中世に普及したこの二つの要因により、かつて魂が宿り、声を持つ存在とされていた自然は、「沈黙」する物質・物体へと追いやられることとなった。さらに、ルネサンス期に入り、人類を獣より高く天使よりは低いと位置づけるキリスト教的世界観、いわゆる「存在の大いなる連鎖(The Great Chain of Being)」のコスモロジーが、人間という種の自然界に対する優位性の表象として捉えられるに至って、自然とのアニミスティックな対話は失われ、人間は「存在の大いなる連鎖」において唯一の語る主体としての地位を獲得したとされる。これが人間中心主義の考え方と並行することは言うまでもない。また人間中心主義の考え方は、西欧の哲学や精神に一貫して流れているとされ、古くはプラトンのイデア論やアリストテレスの世界観にまで遡ることができるとも言われる(岩井 248)。

※anthropocentrismとhomocentrismは、共に「人間中心主義」と訳されるが、前者が人類だけでなく他の霊長類も含むのに対し、後者は人間に限定する用語として用いられるとされる(ビュエル 186)。

(山田悠介)

 

参考文献

・岩井洋「ホモセントリズム」文学・環境学会編『たのしく読めるネイチャーライティング』(ミネルヴァ書房、2000)248.

・ローレンス・ビュエル『環境批評の未来―環境危機と文学的想像力』伊藤詔子他訳(音羽書房鶴見書店、2007[原著:2005])

・クリストファー・マニス「自然と沈黙:思想史のなかのエコクリティシズム」城戸光世訳 ハロルド・フロム、ポーラ・G・アレン、ローレンス・ビュエル他『緑の文学批評―エコクリティシズム』伊藤詔子他訳(松柏社、1998)35-62.[原著:1992]

・山里勝己編「ネイチャーライティングキーワード集」『ユリイカ』第28巻4号(1996): 226-33.

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